愛する人また逢える日まで

明日があるとおもってた。突然くも膜下で亡くなった主人、また一緒になれたら。。そんな同じ思いを持つ人の明日へと繋がりますように。

父へ。。

今日は昔なら成人式の日ですよね。


今日は生きててくれたら父の82歳のBD。



70歳の時に

病気で亡くなってしまった。



俺は70で死ぬと自分でコミットしてた父。



家族全員に見守られて息を引き取った。


20年前、

リフレクソロジーの免許を取るため

練習台にと一度だけ触らせてもらったことがある。



不器用で口数も少なかった父。



一生懸命父の足をモデルにしていると



「お前もええ仕事しとるなぁ」



とボソッと言ってくれた。



お見舞いに行った時、

父は


「オレンジが食べたい。」


と言うのであまりそんなこと言わないもんだから

「すぐ買ってくるね!」


と買いに行き戻る途中に

「もう口から食べてはいけない」


とドクターに言われ喉に穴をあけられてしまった。



母よりも

私に着替えさせてほしい。と

嬉しいことをいってくれてた父。



わたしは昔からパパっ子だったから。



最期の心臓マッサージのとき

意味ないけど必死でリフレクロソジーをした。




心臓が止まったときの

あのピーーーーーーっという音。





私たち泣き崩れ

母はその場で失神し倒れた。



父の死はどこかで覚悟があった。



でもJは突然だった。。。



せめてあと20年は一緒にいる予定だったよ。



覚悟もなにもなく逝ってしまった。




それだけに喪失が大きい。




セッションでは

うちの父とJが仲良くお酒飲んでるって。


弟はお酒が飲めなかったから

父が生きてる時にJがいてくれたら

きっと楽しかったね!



私が向こうにいったときは一緒に

飲めるかな。。。



お父さん誕生日おめでとう。。。

みんなの気持ち

昨日はみんなが集まっての勉強会。


そんなときでも

Jにと、遺影の周りへ

みなさんが各地の名物やお菓子、

お土産を供えてくださる。



さりげなく。。。



ありがたいありがたい。


勉強会のあとはスタッフたちと

久々みんなが集まっての

食事。。



Jがいたからこそのご縁。。。


やっぱりほっこり安心します。



でもその反動が。。


みんなが帰った後

賑やかだったのが

一気にシーンとなると。



生前は

お客様たちが我が家にきてくれ

みんなJのマジックやトーク

心込めてつくったお酒やらで

たのしんでもらい

お見送りしたあとまた2人で


「おつかれちゃん。」


といって飲む時間が

大好きだった。



もうその余韻をつまみに2人で飲むことは

ないんだと思うとたまらなくなって

一人で号泣。




40代で亡くなるのは250人に1人の確率。



そんなのにあたりたくなかったよ。



家族の中でも遠慮して生きてきて

やっと自由になれて

やっと一緒になれて

これからは一緒に自分たちで

自分たちらしく共に生きれると

思ってたのに。。。



泣き明かした日曜日の朝。



朝の吉田沙保里さんの言葉。



1番印象に残ったのは?


「初めて銀メダルになり負ける悔しさ

負けたからこそ負けた人の痛みや悔しさが

わかった。負けないと分からなかった」と。。。



私はたいていの苦難や喪失(グリーフ)

は乗り越えてきたつもりだった。


自分自身は三度の交通事故。

子宮頸がん。

流産。

離別。



そして身内では

父の死。

妹の末期ガン。

産まれたばかりの姪っ子の死

そして父親の死。

17年飼ってきた愛犬プティの死。


それだけでなく今度は最愛の旦那様の

突然死。


こればかりは乗り越えられない。



でも日にち薬と言われたように

泣くことももちろんある。

あるけど毎日ではなくなってる。



私はこの世で

たくさんの死別や

経験によって同じ経験をした人の

気持ちに寄り添うことをすると

決めてきたのかもしれない。



人間一人で産まれてきてまた

一人で亡くなることはだれも同じ。


生きていたら何が起こるかわからない。


だからこそどんなことがあっても

一人で自立しておける自分でないと

ダメなんだと改めて感じる。



40代後半になると

子育ては終わりやっとこれから自分のために

という気持ちになると思うが

今度は親の介護になることが多い。



親や子供をあてにすると

その通りにならなければ悲しくなったり

怒りとなることもあるという。


でもそれこそ自分の今をしっかりしておけば

相手に依存したり期待したりしなくてもいい。



しっかり自分の軸を、そして腹をくくって

自分の決めた道をとことん進んでいけばいいんだ。


シンプルにいきて

そして迷惑をかけないで死にたい。



とことんやってやろうじゃないか!


と泣くだけ泣いたら

やるしかないって思える。


悲しみに時間をとことんつかっても

頭痛はするわ、気持ちは落ちてなにしてても

楽しくない。



そんな姿をみても貴方は喜ばないよね。


でもさ、

たまには寂しくて泣いてもいいよね。


たまにはなんでおらんのよーーー!

ってほざいてもいいよね?


おそろいのパジャマ抱きしめて泣いてもいいよね。


そんなときもあるけどゆるしてね。。。

この辛さは

日々落ちたり上がったりの

繰り返し。



あるときふと

「俺はお前より一日でも早く死ぬ」と

言っていた。




自分が後に残ることだけは嫌だったようだ。


そりゃあ寂しがりやさんだもん。




Jは

ほんとにいろんな顔があった。


人前では場を盛り上げるために

おちゃらけて楽しませる盛り上げ役。


仕事ではまじめな(当たり前だけど)

真剣な顔。

どんなときも正月も必ず

やることはまじめにやっていた。


ストイックな顔。

トレーニングやウォーキングも

雨の日もやるといったら

必ずやりすぎるくらいやる。

(ジムも欠かさず血管きれるやろーってくらいやっていたからほどほどにしてーと

レッドカードだしてた)



掃除好き。

わたしよりもほんとに上手!

尊敬です!!


サプライズで時々

フルコース作ってくれてたり!



亭主関白!

昔は俺様やったのが再会して

結婚してからほんとに

協力的で。。。



そして辛いときこそ

よっしゃ任しとけ!

と男気があり頼もしい存在。


そして何より寂しがりやさん。


そして甘えんぼう。。。



ほんとどれだけの顔をもっていただろう。



旦那様であり、時にはお兄ちゃんでもあり、

お父さんでもあり、子供でもあり。



みんなが共通して言うのは

Jさんのあの笑顔がすぐ浮かぶと。。。



いなくなってから

普通に生活してるようにしてるけど

やっぱりこんな飽きない人はいない。




ほんとにさみしいよ。



この人生で1番辛い出来事を

人一倍寂しがりやのJが耐えられないと

思う。


でもミディアムさんたちからは

私たちはいつも夫婦だったけど、

あるときは長く生きたし子沢山だったけど、

互いに罵り合って幸せではなかった。


次の生まれ変わりは

あなたの方が先に亡くなり

ご主人はこの辛さに耐えられなかった。


だから今世は短くても

濃く、仲良しで幸せな時間を過ごせたんですよ。


来世こそ長く幸せな人生を。。



と言われたことがある。




来世こそという気持ちはきっと

仲良しの夫婦で死別した人にとっては

あることでしょう。