愛する人また逢える日まで

明日があるとおもってた。突然くも膜下で亡くなった主人、また一緒になれたら。。そんな同じ思いを持つ人の明日へと繋がりますように。

ひとりの生き方

先日、同志さんと

神戸でプチクリスマス。



私たちの旦那様との思い出は神戸。





やっぱり私は神戸が大好き。




亡くなり方はガンと突然死で違うけど

環境がほぼ似てて

いくら時間があっても足りない。。。



遠慮なく互いの旦那様との思い出を

共有できるってほんとにありがたい。。。



亡くなってから

しばらく来れなかった思い出の

ハーバーランド。



ここには20年分の思い出が

たくさん詰まってる。。。



一つ一つの場所が

2人にとって大切な瞬間だった。



どんな瞬間も一緒で笑いが

たえない時間だった。




そんな思い出を2人で話したあとは

同志さんのご自宅へお招きいただきました。



ステキな旦那様がまるで生きてるかのような

空間で愛猫ちゃんと神戸の夜景を毎日

みながらの生活。


旦那様の仏壇に手を合わせていると

嫁を頼むわなあっていわれてる気がして

涙が溢れた。




愛する人が旅立ち、

一人になった今からの

自分の人生をどう生きるか。


改めて考えました。



周りからは立ち直ってるね!

元気そうだよね!

って言われることが増えました。



笑うし、話すし仕事もする。


だって人様の前で悲しい顔、暗い顔してても

迷惑だろうし、泣いてばかりでは

何も変わらないから。


そして伴侶を亡くした女性にとって大きなこと。それは

自分や残された家族のために自分が柱となって

必死でいきていかないといけないから。。。


半身なくなってしまったのと同じだから。



今でも1人になると

風呂場でも、街を歩いてても

ふとした瞬間にとめどなく流れる涙。


そんな自分もいい受け入れよう。




メソメソしたところをみせるのは

ほんとに心からJと私との関係を

大切にしてくれて

共に泣いてくれた人の前でのみ。



その人達の前では思い切り泣ける。



それでいい。。。と思うことにした。


わかってなんてエゴだから。






「いつまで泣いてるの。

いつまでメソメソしてるの。

ご主人のためにも前向かなきゃ!

あちらに行けないよ。」


という言葉に死別した直後は

それをいわれるたび毎回張り裂けそうな

気持ちになっていたが、


今は何か励ましたいと

考えてくれたんだろうな、私達をおもって

くれてこその精一杯の言葉だろうと

理解しようとしてる。

ありがたいっておもえるようにやっとなれた。



伴侶をなくすことは

人生最大の喪失といわれる。


それをこの年齢でまさか自分が経験するとは

想像しなかった。



必ず意味があるというけれど、

最初はまったく意味なんてない!と

感じていた。。



でも

亡くなったことだけにシフトして

悲しみを抱えて一人で生きていくのは

辛すぎる!



そんな姿をみたくないだろう。




かといって忘れることなんてできない。



この一年すごしてたくさん必死で

学んできた中で

魂は永遠なんだと理解できた。



忘れることはない。

それも含めての人生。


1人になったとシフトすると

さみしくて孤独だと

思い込んでしまう。。。


でも決して1人じゃない。


何できる??


Jが叶えたかったこと

すべてしてあげたい。。。


Jが喜ぶことしたい。

Jなら今なんて声かけてくれるかな。



って

同じ気持ちの人たちとともに

生きてる今を共に亡くなった方々を

忘れることなく、

寄り添って共に生きていこう。



そばにいるような気がする。

見守ってくれてる気がする。


小さな出来事の中で

もしかしたら今のは助けてくれたかな。


あの人が守ってくれたかな。


こんなことで済んでよかったな。

助けてくれてありがとう。


大難を小難にしてくれたのかな。


って見えない世界のご先祖様や

亡くなった愛する家族が見てくれて

助けてくれたんだって感謝に変えられたら

ありがたいなって思える。



今世、いつまでいきるか分からない命。



自分の命を輝かせるのは、

磨き上げるのは自分しかない。



誰と出逢うか、

誰と食べるか

誰と飲むか、

誰と仕事するか

誰といたいか

誰から学びたいか。。。



やるべき、

いるべき、

こうしなければならない、

難しい、

って思うことはもったいない。



これをやりたいかやりたくないか

この人といたいかいたくないか

こうしなければの義務や責任感じも

大事だけどこうしたい!こうした方が

気持ち的に楽になる。

難しくない大丈夫!



って言葉に変換するだけで起こることも

変わる気がする。



まだ向こうにいけないなら

今の命どう生かしていくのか

逢えるまで何していこうか。



そんな風に考えていこう。。。

同じ人との二度の喪失(グリーフ)

一度目、28歳からJとの2年の歳月を共にし、

その時は一緒になれず、

悲しくてつらくて泣いてばかりだった。





当時はサラリーマン。

でもJと出逢ったときは

独立してサロンを開業しようと

頑張っていた時期。



準備し二足のわらじだったけど、

独立しJもたくさん

応援してくれてた。


サロンの名前いりの

Tシャツつくってくれたり。


Jのお嫁さんになりたかった。

でもどうしても越えられない壁があった。


もーー!そのときでも

思い出がたくさんありすぎて喪失感が

ひどかった。


それから

もう恋愛も仕事も両立なんて

無理だ!

仕事にいきるー!!



と決め、腰までのロングだった髪を

ばっさりショートにし、

がむしゃらに仕事をし

独身を貫く覚悟で

母や父の老後も考え

自分でマンションを買った。


それからは

娘を一人で育てあげなきゃ!

と必死だった

壮絶なシングルマザーとしての

20年。


まさに

Jが、成長させてくれた。

だから再会したとき

皮肉でもなく

「あなたとの別れがあったから

私は一人で自立できた」と

感謝したら


「お前あほかーーー!」なんて言われたけど

ほんとにそうだった。


あのとき別れて必死で

やったからこそ

、またJもいろんなことを超えたからこそ

また一緒になれたんだよね。



そして再会し、

これからの

残りの半生を仕事よりも

旦那様との時間を優先して

家事や二人の時間を作って

頑張りすぎない穏やかな時間を

過ごしていこうと決めた五年前。。




なのに今度は死別という形で

永遠の別れがくるとはおもってもなかった。





やっとやっと一緒になれた。


それもたった数年の結婚生活。



でも

あの時とは違う。



もうこの世にはいない。



そして娘は自立しほんとの一人の生活。




まさにこれから一人で暮らすという

自分本来の生き方そのものを、

考えていくことになってしまった。



またロングにしてた髪をバッサリショートにした。

ツインレイ

「ツインレイ」


この言葉はJがなくなり、

セッションしていく中で

何回も言われた言葉。。。




前世はそんなつながりだったと。


聞くところによると

ツインレイの二人が結婚できるとは珍しいらしい。



大抵どちらかが既婚者だったり

困難があると。。






言われてみると

一緒になるまでが

とても長かった。。。



20年前2年の付き合いで

別れてしまったけど、

約15年の間、ご縁はあったのに

さまざまな状況を超えられなくて

ようやく正式に一緒になろう!と

決意できたのが出逢ってからすでに15年

たっていた。



やっとやっと一緒になり

毎日がとにかく楽しく

この幸せがせめて30年は

続くとおもっていたのに

たったの4年だけ。。。



でもこの四年は

何十年分くらいの思い出や写真だねっ!

といろんな人に言われた。



こんな写真ある夫婦みたことないとも。



今朝起きると555。



数字や、

音、雲や空で

Jを感じるしかない。。。